若さは狂気を孕んでいる。
 何のためらいもなく死を選ぶ若い二人を観て、そんなことを思いました。

 いやはや、素晴らしかったです。
 雪組の「ロミオとジュリエット」。
 久しぶりに宝塚の芝居で泣きました。
 宝塚の芝居って基本つまんないから泣くことが本当に少ない。
 だから自然と涙が出てきた時はびっくりしました。

 その前に泣いたのは「ハプスブルクの宝剣」だったような…。
 最後のオルガ@モナコちゃんとエリヤーフー@ちえちゃんとのやり取りでぐっときたんだよなぁ…。 
 …って、結構最近ですね。

 「娘の愛はこの世では実らず」
 ジュリエット母@かおりちゃんが歌い出した瞬間、ぐぐぐっときていた涙が決壊。
 横たわる娘ジュリエット@みみちゃんにはそんな母の嘆きは聞こえない。
 嘆くならどうしてこの世で結ばれるようにしてあげなかったの?
 そんな単純な問いが頭をぐるぐる回ってました。

 星組版と比べるのは良くないですが、
 星組版を観た時、死@真風さんががロミオを取り込んでいく過程が見えたように思いました。
 ストーリーテラーのように私たち観客をも死に世界にいざなっているような。
 1回しか観劇していないのですが、ずっと死を追っていたような気がします。
 主役の二人ではなく、死を追うことが物語の中枢をなぞっているような気がしたんです。
 それに対して愛@礼さんは小鳥のようなか弱い存在。
 死に見つからないようにひっそりとロミオとジュリエットを見守り、二人の一喜一憂をそのままダイレクトに受けて、愛自身も喜び嘆く。
 
 でも、雪組版は愛@せしるんが二人を死の世界へ導いているように見えました。
 何でしょう?あの美しいビジュアルのせい??
 せしるんが神々しくて、現実離れし過ぎているがゆえに「生」を感じなかったんです。
 ロミオとジュリエット、二人が選んだものは「死」だけれど、二人が行った世界は愛の衣装のように柔らかな色に包まれている世界なんじゃないかなぁと。
 それが「死」ならそこへいざなったのはきっと「愛」だったはず。
 そしてそこはきっと天国という場所なんだと。
 咲ちゃんの死が生々しいから余計にそう感じたのかもしれません。
 死@咲ちゃんがロミオを誘い込もうとしているのは「生」、それはヴェローナという街、終わることのない争いの世界で生きていくこと。
 生を苦しいものとする感覚って若さゆえだなぁと思います。
 死に対する憧れとか、誰しも若い頃通る道だと思うので。
 死の配役は正直どうなんだろう?とは思っていて、観劇後もその思いは残っているのですが、こういう解釈で観れば生命力溢れる死もありだったのかな?と思います。

 新公を観る前にざっくりとした感想を書いておきたかったので、個々の感想はまたいずれ。
 1本モノの新公を観るのは初めてです。
 カット場面もあるだろうし、新公ならではの咲あゆコンビのロミジュリを楽しんできたいと思います。

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